2006年02月15日

波照間島へ行ってきました

今回の公演に出演する波照間中学校へ説明をかねて行ってきました。

波照間島へ行ってきました

芝生の大変綺麗な学校で、今日は南の風が心地よく気温も27度まで上がり夏の匂いです。
波照間中学校は生徒数17名、今回は1・2年生男子6人女子4人の構成で太鼓の演舞で参加です。21日の夜から練習開始と云うことで、頑張ってください。


星空食堂で八重山そばを食べその足で、長田大主の生誕の地へ行きます。といっても食堂からほんの30mくらいの森の片隅に、あっけないくらいに建っていました。

波照間島へ行ってきました

見晴らしを良くするため手前の木を切ったようで、切り株越しに小さな碑が建っています。

説明の柱にも長田お嶽と書いてあり、周囲の林も神の森のような風情はあるのですが、長田御嶽という場所はこの近くにもう1カ所有り、そちらの方がかなり規模も大きく祀られており、島の人に聞いてみたのですが、明確な答えは得られませんでした。


その先少し行ったところ、石組みの上にアカハチ生誕の碑があります。碑には「アカハチ誕生の地、八重山の英傑オヤケアカハチが生まれた屋敷跡」と記されています。ものの本によるとアカハチは海岸のアダンの下で泣いていたのを拾われたとか、東向きに捨てられていたとか様々な説がありますが、この島ではここで生まれたことになっているようです。
沖縄の離島は何処でもそうですが、沖縄嫁といわれる、内地から嫁いだ若い嫁さんが多いようで、何人かに訪ねましたが、島には余り歴史に詳しい人は残っていないようで、「石垣で聞いた方が早いサー」といわれました。

波照間島へ行ってきました


昨日、市内100カ所にポスターを掲示しました。チケットの販売も開始で、八重山毎日新聞には、少年自然の家の所長が、5回に渡ってオヤケアカハチとその時代を連載開始しました。この内容はいずれこの欄でも紹介します。

この件に関わってから、地元の多くの方と話をする機会が増えましたが、その中には当時(500年前)の関係者もおり、アカハチその後や古乙姥の悲惨な結末など、歴史に残らない話も多くあります。本番前が超忙し状態なので、「オヤケアカハチ考」をまとめきるかどうか分かりませんが、那覇公演まで継続したいと思います。
その中にはこの公演の関係者の不思議な繋がりや、やや不気味な話も含まれており、どうなるか分かりませんが、取り敢えず本番前に、主役級の数名を連れて関連史跡を拝んで廻ることにしました。

やいま浪漫の会             higepapa


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Posted by WKL・やいま浪漫の会 at 23:33│Comments(0)**その他**
 
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