2006年01月03日

オヤケアカハチ考その1

オヤケアカハチ考その1

オヤケアカハチ考その1 
 この演劇の主人公「オヤケアカハチ」は西暦1500年頃の八重山に実在した人物です。子ども達が演じる劇の500年前当時の八重山を、様々な資料を基に考えてみたいと思います。

 時代背景
 1300年の終わり頃に中国で明国を打ちたてた洪武帝は、周辺国に対して明への朝貢を要求します。沖縄本島では、まず中山王察度がこの呼びかけに応じて入貢しました。これが琉球と中国の朝貢関係の始まりです。以後、南山の承察度、北山の怕尼芝が入貢します。沖縄の三山という名称は、この入貢を果たした時に、中国から与えられたもののようです。

 その後、宮古の与那覇勢頭豊見親が中山王に入貢し、その与那覇勢頭豊見親の誘いで八重山が入貢するようになったと云われます。
 世界を見廻すと1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見、1498年にはバスコダガマがインドのカリカットに到着しインド航路を開拓したりと、いわゆる大航海時代です。

 当時、八重山の中心は石垣島ではなく、西表島の祖内周辺といわれています。
この演劇に出てくる主人公「オヤケアカハチ」をはじめ「長田大主」「仲間満慶山」」「獅子嘉殿」をはじめ当時代に生きた人物像を、3月4日の「オヤケアカハチ~太陽の乱」本公演までの間に何回かに分けて考察してゆきましょう。
 最近までは首里王府が残した文献がメインで語られてきましたが、八重山で語り継がれた歴史も併せながら歴史の旅へ出たいと思います。


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Posted by WKL・やいま浪漫の会 at 19:48│Comments(0)**アカハチ考**
 
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