2006年01月10日

オヤケアカハチ考その4

アカハチと長田大主(ナータフージィ)
 ここで、長田大主が妹古乙姥を嫁がせてまでアカハチを亡き者にしたかった前後関係を見てみたい。
 長田大主は宮古島の仲宗根豊見親の子と云われている。首里王府や宮古に八重山の島々を従わせようとする長田大主は、アカハチが台頭し島々の民を見方に巻き込むに従って、対立するようになる。

 今の石垣浄水場のある平得上原辺りは大浜と四箇の中間になり、豊富な湧き水があったようで、田畑の水利に関してのトラブルも多かったようだ。
 
 ※長田大主には二人の妹がいた。真乙婆(マイツバ)と古乙婆(クイツバ)である。弟には那礼當と那礼重の二人がいたが、アカハチに殺害されたとあるが、この殺害に関する状況の資料はまだ見つかりません。
 
 このように、徐々にアカハチの力が強くなり、自分の身に危険を感じるようになる、とともに長田大主がアカハチと戦った理由の最たるもの次のように考えられる

 それは、首里王府に対して反感を持つアカハチが八重山諸島を支配するようになることは、中国や東南アジアへの交易ルートに大きな障害になる。首里王府がアカハチ征討に踏み切ったのは、「首里への入貢を断る」と言った事を理由に、八重山を首里王府の中に統合し安定した交易ルートを確保しようとしたからだと云われる。
 その首里王府と宮古の豪族の先鋒が長田大主である。そのころのアカハチの勢いは宮古をも脅かすような勢いがあったと云われる。

オヤケアカハチ考その4

2004年の公演より

 そこで、長田大主が策略を用い始める。前記した毒殺計画で失敗した後、妹の古乙婆を嫁がせることを考えた。妹を嫁がせれば当分自分に刃を向くことはしないだろうとの考え、いわゆる政略結婚である。

 長田大主は、妹の古乙姥に隙を見て「この薬でアカハチを殺せ。」と南蛮渡りの毒薬を与えた。古乙姥は兄の言うことを断ることもできずにアカハチと結婚する。
 ところがアカハチは力があって頭脳明晰、村人に対しても親切で誠実だった。兄の言うような悪人でも恐ろしい人間でもなく、古乙姥は逆にアカハチのことを本当に好きになってしまった。
 結局古乙婆は兄の言いつけを果たせず、逆にアカハチは長田大主の企みを全て知ってしまったことになる。
 古乙婆は弟二人を殺してしまった本人、また、兄の敵でもあるアカハチを好きになってしまったわけで、女心もなかなか難しいが、八重山初の悲劇のヒロインとして、その名前は語り継がれている。

 アカハチと古乙婆の悲恋は、「オヤケアカハチ~太陽の乱~」のなかでも、重要なシーンとして出てくる。平田大一氏がどのような演出をするか、見てのお楽しみ~~~。

 古乙婆がアカハチと意を通じたことにより、アカハチに対する企みが明らかになってしまったので、長田大主は四箇に住むことができなくなり、石垣島西部の屋良部の海岸に逃げ、その洞窟に隠れ芭蕉で筏を造り由布島を通って西表の古見に渡り、祖内の慶来慶田城の元に身を寄せ、事の次第を宮古・首里王府へと知らせた。
 この逃走劇にはいくつかの物語があるが、その考察はまたの機会に。

続く                  分責   やいま浪漫の会
 


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ホンギルドン(2009-03-06 15:18)


Posted by WKL・やいま浪漫の会 at 21:05│Comments(3)**アカハチ考**
この記事へのコメント
 その4迄読んで、未だ見てない舞台が何と無く見えて来たような気がします。
以前、きむたかホールの交流会で見れた1シーンは、この悲恋のシーンだった記憶が・・・・・。
 最近、仕事で良く石垣島に行ってます。11月と12月で5回。明日も行くんですけどね・・・。
何とか金・土に調整して、練習風景を見学させて貰いたいです。その時は宜しくです!
Posted by ゆいの管理人 at 2006年01月11日 00:03
ゆいの管理人さん>>きむたかホールの交流会でみなさんに披露したのは、悲恋のシーンではなく、アカハチと長田大主のシーンですよ!!
良く、来るんですか??あら。
明後日。火曜日に平田さんが来島するので夜間稽古が組まれてありますよ♪石垣島に来る時は連絡くださいv練習日程などお教えします♪
Posted by ちか at 2006年01月15日 22:18
 げっ、全然違うではないですか?! 大変失礼をば致しました・・・・。

1週間遅ければ平田さんにも逢えたのか。  おしいっ!!
Posted by ゆいの管理人 at 2006年01月16日 21:21
 
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