オヤケアカハチ考その2
オヤケアカハチ生誕の碑(波照間島)
アカハチ誕生物語り
オヤケアカハチは波照間島で生まれました。ただ、その誕生については多くの説があります。
1・赤ん坊がコモに巻かれて流れ着き、アダンの下で泣いた。それを見つけた村人が古老に伝えると、その古老は「どこを向いて泣いているか」と聞いた。「東に向かって泣いている」と答えると、「それは神の子だ、連れてこい。」ということで村に連れてきて養ったという。
2・八重山の自然と人情を愛し石垣島測候所の2代目所長だった岩崎卓爾の『ひるぎの一葉』(大正9年刊)には次のように書かれています。
野生ノ豪侠児不遇ノ「オヤケ、アカハチ」生ル。容貌魁偉、頭髪赤赭、長ク垂レ、歯ハ已二成人ノ如ク生イ、眼光人ヲ射殺ス。産婦其ノ怪悪ノ形状ニ驚キ、哺乳養育スルニ忍ビズ、他聞ヲ憚リ裙袴ニ包ミ、夜初更窃カニ海中岩礁二捨テテ去ル。生児ハ涛ノ鞺々轟々、壮烈ナル波ノ響、波シブキヲ真額二浴ビツツ熟睡セリ。天明ケ海舟、岩礁ニ生児ヲ認メ拾収シテ育テリ。(この部分麻生伸一氏の竹富町の海寇民話から転記させていただきました。
3・波照間の東海岸にミンピガーという潮が吹き出てるところがあり、その側に捨てられて泣いてる赤ん坊がいた。見つけた人が年寄りに相談すると、「東に向かって泣いているなら連れてきなさい。西に向かって泣いているなら連れてくるな。」と言う。東に向かって泣いてので、育てられたと伝えられている。
4・難破船から助けられた男と波照間島の司の間に出来た子がアカハチである。神を祀る司は結婚してはならない。そこで、司以外の立入りが許されない御嶽の中で子どもを産んだ。その子を浜に捨てておき、拾ったことにして育てた。
5・韓国の伝説的義賊「洪吉童」(ホンギルトン)が日本へ渡って「オヤケアカハチホンガワラ」となった。ホンガワラはホンギルトンからきている?。
真実はどうであるかはともかく、4番と関係があるかもしれないが、波照間島にはゲート・ホーラーという正史には記述されていない人がいた、オランダ船が漂着して、上陸したオランダ人と、加屋本の女が結婚して生まれたのがホーラー。その子孫は体格が大きく、鼻も高い。ただし、バスコダガマがインド航路を開いたのがアカハチが生まれたとされる年より数十年前と云うことでこれも?がつきます。
このようにいくつもの説があるが、髪の色や風貌などを考えると、外国人であった可能性は高いと思われます。5番目の韓国の義賊説は韓国では教科書にも載っているようで、大浜長照石垣市長も大変乗り気で、「オヤケアカハチ~太陽の乱」の韓国公演をことあるごとに周囲に話をしています。八重山 ←→ 韓国親善にも一役たてたいようですね。ただ、石垣島の川平や白保地区などの方言には韓国語と近似した表現も残っており、韓国とのある程度の行き来があったように思われます。
ともあれ、誕生だけでもこの様な伝承民話的な話が数多くあり、ますますオヤケアカハチの人となりは興味深い。
続く 文責 やいま浪漫の会
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