オヤケアカハチ考その7
那覇公演までいよいよ10日です。
追い込みの作業が多くて慌ただし毎日を過ごしています。
ここで、チョッと息抜き。
大濱長照石垣市長が熱心に語る、「オヤカアカハチ・ホンガワラ」=朝鮮の英雄「洪吉童:ホンギルトン」を考証してみましょう。
物語り「洪吉童伝」は朝鮮時代の学者であり小説家でもある許筠(ホ・ギュン 1569~1618年)が書いた最初のハングル小説です。洪吉童は、意のままに姿を変える遁甲術まで使って、悪を罰し、民を助ける義人として登場します。しかし、洪吉童は1440年頃に生まれた実在の人物でもあり、彼を題材とした北朝鮮初のアクション時打劇「ホンギルトン」は次のようなストーリーが展開されます。
洪吉童のテーマパークを造っているという韓国長城のHPより
朝鮮の高官の息子だが、正室の子ではない洪吉童は、酷い差別を受けて育ちます。ある日、盗賊に襲われかかった所を、妖術を使う老人に救われ、弟子入りして山に籠もり様々な特訓を受けます。特訓を終えて家へ戻ると、正室による母への虐待が酷く、日増しに弱っていく母。ある日、正室の放った刺客により暗殺されそうになった洪吉童は、遂に家出をし、貧しい庶民を助ける義賊になります。
そのころ巷では、黒装束の盗賊集団が、貴族・庶民を問わずに、暴行・殺人拉致を繰り返しています。映画では何故か日本の忍者になっていますが?。
農民軍と力を合わせ忍者を追い払った洪吉童の功績は、国王にたたえられ、「なんでも望みをかなえてやる」と言われます。洪吉童の二つの望み「民衆を圧制から解放すること」を願い、聞き容られる。だがもうひとつの望み「大臣の娘でとの結婚」は許されませんでした。妾の子と、貴族の娘の結婚を許したら、上下貴賎の社会構造が崩れるという理由です。
絶望した洪吉童は、愛する人、同志と一緒に国を捨て、夕焼けの大海原へ、帆船に乗って旅立ちます。
そして、今韓国の小学校の教科書では、洪吉童が日本の沖縄に渡って「オヤケアカハチ・ホンガワラ」という名前の尊敬される指導者として活動していたといわれ、そこでも民を苦しめる首里王府に対抗して戦っていると教えています。
「オヤケアカハチ・ホンガワラ」と呼ばれていますが、八重山では「オヤケアカハチ」「ホンガワラ」と二人いた説もあり定かではありませんが、「ホンガワラ」&「ホンギルトン」
何やら似た響きも有るような無いような・・・・
歴史に残っている風体では西洋人のようにも思えますが・・・・
洪吉童の詳細は
http://jangseong.jeonnam.kr/jpn/sub_03/sub01_01.html
に詳しく紹介されていますが、それによると「アカハチ」と完全にダブっており、その後久米島で日中貿易をしたり、次男が具志川城を造ったり(子孫も居たのか~)、沖縄列島の海上王国を作ったりと、凄まじい活躍で、大綱引きや琉球の医学も彼の伝えになると表しています。
立場変われば~~やらで、「オヤカアカハチ」偉人でもあり、人騒がせでもあり、興味の尽きないところです。
つづく
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