オヤケアカハチ考その5
仲間満慶山(ナカマミツケーマ)英極と獅子嘉殿(シシカドゥン)
長田大主を逃したアカハチは、大浜の住民と一緒になって島内で戦う味方を集めようとします。まずアカハチは川平の豪族「仲間満慶山」と相談することなります。
仲間満慶山は、平家の落ち武者の子孫で文武に優れた人物だったといわれて、川平の英雄と今でも慕われています。。
仲間満慶山はアカハチから呼ばれ川平を出るとき、長男が心配して同行を申し出たが、それを断りアカハチと会う約束をした真栄里まで馬に乗り一人で会いに来ます。アカハチは仲間満慶山に一緒に戦おうと説得しますが、仲間満慶山はアカハチと共に首里王府と戦うことを断ります。
仲間満慶山が断った理由は、首里王府の大きさを認識しており、王府に弓を引くことは逆臣・逆賊になってしまう。武力・財力共に圧倒的な力を持った首里王府との争いに、罪もない島民を巻き込みたくない、というものでした。
しかし、決裂した話し合いの後、アカハチは仲間満慶山が帰る道の途中のケーラ崎(斬りつけるの意)の海辺近くに落とし穴を造って待ち伏せし、馬で帰る途中の仲間満慶山を討ち取ります。現在、ケーラ崎には「仲間満慶山終焉の地」という手の形のような石碑が建っており、季節の花が絶えません。市街地から川平へ向かう途中の名蔵湾沿いにある「石垣島焼」の近くに有ります。
仲間満慶山の墓は、海水浴場として知られる底地ビーチの東端の断崖の途中「ヤドゥピケと呼ばれる場所に祀られており、子孫の手により管理されています。
仲間満慶山の墓(劇団員史跡巡りより)
また、底地ビーチの駐車場脇には長編叙事詩「オヤケアカハチ」を書いた、伊波南哲の碑が建っています。
伊波南哲の碑
次に、アカハチは波照間島の獅子嘉殿を仲間に入れるため、強力者の嵩茶(タケチャ)を使者として波照間に送った。しかし、その獅子嘉殿も一緒に戦うことを断ったため、嵩茶は獅子嘉殿に、「アカハチと会って話しをして欲しい」と誘い出し。船に乗せて石垣へ向かう途中、狭い船上で獅子嘉殿の力を封じ殺して海に捨ててしまう。その死体は小浜に流れ着いたという。嵩茶は歴史には余り記録が見られないが、「オヤケアカハチ~太陽の乱~」では、アカハチをサポートする重要な役で登場する。
この後、宮古へ逃れた長田大主からの報告で、宮古の仲宗根豊見親が首里王府にアカハチの状況を知らせる。
首里王府は、ついに沖縄本島・久米島・宮古から兵を集め、百隻の船に三千名の兵を乗せて、赤蜂征伐に動き出します。
続く 文責 やいま浪漫の会
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